対談インタビュー
「いずし」のルーツとは?寿し博士に聞く発酵食品の魅力
(聞き手・(株)中井英策商店代表取締役・及川昌弘)
1.寿司研究との出会い
「まずは、先生が寿司研究を始めるきっかけは何だったのでしょうか?」
これは本当に偶然のスタートだったんです。
私は、大学の専攻が文学部の地理学科だったのですが、その時の科目で「どこでも好きなところへ行って、自由なテーマでそこの地域の独自の研究をしなさい」というのがありました。そこで私は大学4 年生の時に、和歌山県に行くことになり、和歌山の郷土料理を調べているうちに「馴れずし」と言うのがあるということが分かったんですね。寿しなら私も大好きだし、面白そうだなあと思って、研究を始めたのがこの世界に入るきっかけでしたね。そこで、私は生まれて初めて「馴れずし」と言うものを目にしたんですよ。
「先生のご出身はどちらですか?」
私は、岐阜県の大垣市の生まれで、馴れずしと言う文化は全くない土地柄でした。同じ岐阜県でも北部の山間部に行きますと、いわゆる「いずし」と同じような郷土料理は一部有るのですが、そこから一時間ほど下がって東海道沿線になるとそのような食文化は全く無くなります。
「初めて触れた馴れずしは如何でしたか?」
正直、驚きました。色々な意味でショックでしたね。そこで、本格的に研究してみよう!と思い、当時の様々な文献などを探したのですが、当時は篠田統先生の「すしの本」だけが世に出ている唯一の文献で、なんだ・・・これだけ一般的な日本の伝統食である寿しの研究が殆どされていないんだ・・ということに気が付いたんですね。そこで論文を寿司をテーマに作成したことがきっかけになりましたね。
「それから本格的な研究が始まったのですね?」
実は、私は大学を卒業してから普通に就職しています。その就職先だったのが岐阜市の博物館だったんですよ。岐阜市と言うのは、ご存じのとおり、鵜飼で有名な長良川があり、そこで獲れる「あゆ」を使った「あゆの馴れずし」というのが郷土料理であるんですよ。そこでまた、馴れずしに「再会」した訳ですね。その「あゆの馴れずし」というのは、とても原始的な馴れずしで、あゆとご飯と塩だけでひと月位漬け込んで、発酵させるものなのですが、これについても調べてみても殆どその資料文献などは無かったんですね。そこで私なりに調べて論文にまとめたものを、チョットしたところに出したところ、「すしを研究している日比野というのがいるらしい」と言う話が広まり、それでは・・・ということで本格的な研究を始めることになりました。
「当時は、すし研究をされている研究者はおられなかったのですか?」
殆どいませんでしたね。先ほどの篠田先生が唯一おられましたが、私は直接篠田先生にお会いしたことはありません。お会いしたいと思ったのですが、既にその時は亡くなられておられました。篠田先生は私にとっては雲の上のような方でしたし、研究当初の私の基礎的なすしの知識は、すべて篠田先生から受け継いだと言っても過言ではないくらい偉大な先生でした。
その後、すしの研究をされた方は何人かおられるのですが、専門にまとめているのは私だけになってしまいました。
「静岡県の清水市にある寿しミュージアムの監修もされておられますよね?」
そうなんですよ。あのミュージアムは、開館から今年で15年になりますが、清水港はマグロの水揚げ日本一で、寿しをテーマに、市制施行百年を記念して寿しミュージアムを作ろうという話が持ち上がったんです。これも偶然なんですが、私は岐阜市の博物館の職員をしていたこともあり、その経験とすし研究も専門だったということもあって、業者の方から要請を受けて監修をお手伝いすることになったんですよ。
「実はあのすしミュージアムに、三年ほど前に当社従業員全員で見学に行ったんですよ。
大変勉強になりました。」
そうだったんですか・・・。大変嬉しいですね。
あのミュージアムは、先ほどのマグロの水揚げなどと絡めて、握りずしいわゆる比較的新しい寿しの歴史にスポットを当てています。
2.いずしの歴史
「いよいよ寿しの本題に入っていこうと思いますが、そもそも寿しのルーツは、日本ではないという説が有力だとお聞きしているのですが。」
そうなんです。そもそも現在の日本で一般的な寿し「握りずし」は、江戸時代から始まる僅か二百年足らずの歴史なんです。寿しの中で最も歴史の新しい食文化なんです。と同時に、寿しは純粋な「和食」ではないということです。
寿しのルーツとは、いわゆる先ほどからお話しています「馴れずし」の源流から始まります。そこは、ズバリ東南アジアが発祥の地と言われています。タイ、ミャンマー、ラオス、カンボジアなどの地域ですね。ここでの共通点はズバリ「お米の世界的な生産地」ということです。冷蔵庫などの無い時代、貴重なタンパク源である川魚を発酵させて保存食としてきた食文化がズバリ馴れずしのルーツであり、それが中国大陸に北上し、やがて海を渡って日本に入ってきたとみるのが最も有力な説ですね。
「今でも、東南アジアでは馴れずしが作られているのですか?」
タイでは「プラーソム」、ラオスでは「ソンパ」、カンボジアでは「プオーク」、ミャンマーでは「ンガチン」などと呼び名は違いますが、今でも盛んに馴れずしは親しまれています。面白いのは何れも現地語で「酸っぱい魚」と言う意味を持っています。分かるような気がしますよね。原料となる魚は、鯉やナマズなどを主に使っています。体長3 ~ 4 メートルになるような鯉やナマズを使って、米で漬け込み、発酵させて食べていますよ。ウロコがある方が好きだという人は鯉を使いますが、ウロコは嫌だという人がナマズを使っているそうです。おろした魚の切身にお米を混ぜて、空気中にある雑菌だけで自然発酵させます。
「発酵させる期間はどれ位ですか?」
漬け込んでから三~ 四日で食べちゃいます。僅か三~ 四日で発酵してしまうんですよ。確かに酸っぱいですから・・・、やはり気温が高いせいでしょうかね。
ただ、彼らの国々は何れも多民族国家で、これらの馴れずしを全く食べない、作らない民族もいます。作るのはいずれも山間部から来た民族なんですね。聞くと「6世紀ぐらいから作っている」と言うんです。
先ほどのルーツの話になりますが、中国山間部で馴れずしを作っている民族に取材すると「紀元前数世紀から作っている」と言うんですね。ですから、ルーツと言うのは様々な説があり、いずれも立証する証拠が見つからないということだけは言っておきたいです。
「日本に伝わったのは中国からと言うことになりますか?」
その通りです。三世紀頃、日本では卑弥呼の時代です。その時代は、当時の中国との交流が盛んに行われていた時代ですので、そこで民間交流の中から日本に伝わったと私は思っています。
「朝鮮半島でもいずしに似たようなものがあると聞いてますが・・・。」
韓国でも「シッケ」と言いまして、スケソウダラを原料にしたいずしに似たものがあります。糀でなく、麦芽を使って米を混ぜて発酵させています。さらに韓国らしく唐辛子を大量に入れています、ですから見た目は真っ赤なんですよ。
考えてみれば、韓国ではキムチでも白菜と白菜の間にイカの塩辛を入れて漬け込む人もいます。「この方が出汁が良く出る」と言ってですね。魚も野菜も一緒に普通に漬け込んでいます。ただ、その野菜の割合が高いのを「キムチ」と呼んで、逆に魚の割合が多いのを「シッケ」と呼んでいるんです。ですから、漬物と寿しと分けて考える必要もないのではないかと最近は思うようになりました。
3.北海道といずし
「そしていよいよ日本に伝わって来るわけですが、
当初は西日本中心でその後、北海道に伝わって来るわけですね?」
日本に入ってきた当初は、やはり九州から関西にかけて西日本中心だったと推測されます。最初は民間交流から入ってきた馴れずしが、やがて当時の朝廷の知るところとなり、租税の一部として朝廷に貢物として当時伝わったばかりの馴れずしが使われたという資料が残っています。九州では「ふなずし」を朝廷に差し出せという命令が出たとも伝えられています。
いずれにせよ、九州からやがて関西へ、そして時代とともに日本海沿いに北上して、北海道までたどり着いたということです。ただ、残念なことに、この古代の馴れずしの名残は、全国各地で僅かに残っていますが、ほぼ衰退の一途です。現在でも残っているのは、滋賀県を中心とした「ふなずし」石川県の「かぶらずし」秋田県の「ハタハタずし」青森県津軽地方の「鮭いずし」などが今でも作られ、郷土料理として残っています。先ほどの韓国の「シッケ」も韓国でも日本海側の文化です。東シナ海沿いの西海岸地域では全くその様な食文化は存在しません。その意味で私が良く言ういずしは「環日本海文化」と言えるのです。先の韓国の「シッケ」も、日本海を挟んで日本から韓国に伝わった食文化ではないかと言うのが私の持論なんです。
「その中でも、北海道でのいずしの存在は傑出していると思いますが。」
おっしゃるとおりです。北海道でのいずし文化の定着と現在での健在ぶりは、馴れずし文化が衰退する全国的な傾向の中では異端的な存在ですし、私のような寿し研究者にとっても頼もしい地域で、研究のし甲斐のある地域なんですよ。
「糀を使って魚を発酵させて食する“いずし”は、北海道独特のものなのでしょうか?」
北海道だけではないです。青森から秋田、新潟北部から北陸、京都、兵庫県北部、さらに鳥取まで広がっていますよ。特に、石川県のブリを使った「かぶらずし」などは有名ですよね。日本でのその歴史は様々な説がありますが、私はいずしも「漬物」が枝分かれしたものと捉えています。野菜などを糀で発酵させて漬込んだのが、いわゆる一般的な「漬物」で、魚を同じように漬け込んだのが「いずし」と考えています。
どちらも「漬物」の流れとして見た方が私は自然だと思います。面白いのは青森県津軽地方では、イカでいずしを漬け込むんですが、ご飯を入れて発酵させると酸っぱくなるので売れないから、ご飯を入れないで、糀と野菜だけで発酵させて作る「イカのてっぽう漬け」というのが今でも売れています。つまり、ご飯を入れて発酵させたすしが好きな人はご飯を入れるし、それが嫌いな人はご飯を入れない。作り方、食べ方にルールなど無いんだということです。地元津軽の人に言わせると「漬物もすしも同じだ」と言う感覚だと思います。そのように、本州方面では割と自由な形態で伝承されてきたと思います。その一方で、北海道は頑固にいわゆる、魚と米、糀、野菜で発酵させるという「いずし」の製造工程を守って来たんだと思います。
「ところで、何故“いずし”と呼ばれるようになったのでしょうか?」
魚をご飯で漬け込み発酵させるから、ご飯で発酵させる寿し「飯寿し」となったんだという説が良く言われていますが、私は、魚を「いお」と呼びますので、その「いおずし」が「いずし」に変化したのではないかなと思っています。残念ながら、いずれの説も有力な証拠はありません。
「北海道でこれだけいずしが定着し、現在でも一般的に食されている理由は何なのでしょうか?」
これが難しいんですよ。いまだに明確な答えは導き出せていません。
ただ私の考え方ですが、いずしというのは、原始的な「馴れずし」が、「なまなれ」に進化して、それに野菜や糀を入れて短期間で発酵させる「いずし」へと発展していったこのいずしへ進化した時期と言うのは、1 5 世紀頃と見ています。そうすると、比較的食文化的には新しい文化なんですよ。北海道は、本州などに比べると比較的歴史が浅い地域であり、そのような地域と言うのは新しい文化も容易に受け入れて、根付いてしまうのも早いのかな?と言う推論を立てています。その証拠に、北海道の先住民族のアイヌの人たちは「米食」の文化はありません。当然、いずしも知りませんね。北海道に開拓で入植した日本人( 和人)が、持ち込んだ当時の最新の流行食だった可能性がありますね。新しいから流行した、その流行が現在も続いていると解釈するのが自然ではないでしょうか。一般的な握りずしの歴史が今からおよそ200年と言われていますので、それと余り変わらない歴史の新しい食文化と言えると思います。
4.いずしとこれから
「“いずし”は、古い伝統食だというイメージが強いのですが、
そうではないのですね?」
そうです。しかも、北海道のいずしは、いずしが生まれた当時の原型を忠実に守っているとも言われているのです。
北海道の雨竜郡と言う地域がありますよね?そこに富山県から集団で入植して開拓に入った地域があるのですが、そこでは、北海道で唯一「本格的な富山の押しずし」を作っているという地域があります。そこでは、「これが富山の本当の押しずしだ」と言っているのですが、今では地元富山県では、「あんな押し寿司は今では作っていない」というんですね。
つまり、富山では押しずしも時代によって変化しているからです。ところが、北海道雨竜郡に入植した開拓農民の末裔の今の方々は、かたくなにその伝統を守って「富山風押しずし」として作り続けているのです。それと同じように、北海道の皆さんは、いずしの文化を忠実に守り続けているともいえるのです。
「そうですか・・・。それはちょっと驚きですね。意外です。我々北海道民は、いずしは古い伝統食と言うイメージが強いのですが、寿し全体の歴史としては新しい文化だったんですね?」
そうです。古いと思っていたものが実は新しい、新しいと思っていたことが逆に古い・・・なんてことが食文化には有り得るんですね。それと、弥生時代から日本人は伝統的に「米」中心の文化を形成して来ましたね。おめでたい時、人生の節目、あらゆる機会に、お米がそばにありましたね。いずしもそんな背景から生まれ育まれてきたのかもしれませんね。
「ただ私が懸念しているのが、北海道でも若い人の間でいずしの文化が廃れていってしまう傾向にあることなんです。親がいずしを食べなくなってくると、その子供も食べなくなる、その連鎖が心配なのですが。」
先ほどからお話しているように、北海道は全国的には珍しいいずしの文化がそのまま残っている地域です。
この文化は大切に守ってもらいたいと私も願っています。その為には、あまり堅く考えずに、自由な発想で現代人の嗜好に合ったいずしを創造して行っても良いと思います。もちろん、伝統的な製法にこだわったいずしもきちんと伝承し、新しい形のいずしも同時に食べられる・・・そんな自由な土地柄であっても良いと思うのです。良く私は、「回転寿司の台頭をどう思われますか?」と質問されるのですが、決して回転ずしが悪いとは思いません。そもそも、「本当のすし」って何なのか?誰もその答えは分かりません。そんな小うるさい文化ではないんですね。大事なことは、伝統的な馴れずしから、いずし、握りずしなどのその時代、時代の形態の寿しを残し、いつでもそれらの「すし」を楽しめる環境を守って行くことこそ大切だと思っています。
「いずしの新しい食べ方の提案も大切になってきますね?」
そのとおりです。何度も言いますが、すしの食べ方に「決まり」なんてありません。自由な発想で、すしを楽しむことがポイントだと思います。
例えば、東南アジアでは、現地の馴れずしをフライにして食べています。油で揚げることで酸味がまろやかになるんですね。今では、生で食べる人はいないそうです。必ず火を通すそうです。ミャンマーでは、玉ねぎや唐辛子などの野菜を薄く切ってそれにすしを乗せて食べています。これなんか、北海道のいずしで試してみても面白いんじゃないですか?日本国内でも秋田県では、ハタハタずしを焼いて食べる習慣がありますよね。福島県の会津地方では、堅い身欠きにしんをいずしに漬ける習慣があるのですが、その身欠きにしんのいずしを焼いて柔らかくして食べています。とても美味しいですよ。また、握りずしですが、四国の高知県の山の中では、ナスや大根などの野菜を使った握りずしを大晦日に大量に作って、食べ残して堅くなったそれらの握りずしを焼いて柔らかくして食べる地方もあります。ですから、いずしや馴れずしを焼いて食べるというのは決して珍しいものではありません。
また、実際の製造方法も色々と工夫されても面白いと思います。例えば、前述の津軽の鉄砲漬けではないですが、思い切ってご飯の量を少なくし、さらには魚と糀だけで漬けてみるとか、そうなると従来の「いずし」とは違った方向へ行くかも知れませんが、それでも構わないじゃないですか、前述のとおりいずし作りに決まりなどありません。自由な発想で、新しいいずし文化を作って行っても面白いと思います。
「時から様々な種類のいずしが食卓に並んできましたが、このような地域は北海道だけと言えますよね。」
前述のとおり、いずしは日本海側を中心とした全国に広がっている食文化ですが、そのほとんどの地域では衰退が激しく、大変珍しい伝統食になりつつあります。しかし、北海道だけは今でも、秋から冬の郷土料理として食されている特異な地域です。私がすし研究を始めた30年前に初めて北海道のいずしとその消費文化に触れた時の衝撃は今でも忘れることは出来ません。それだけにこの食文化は守り続けて欲しいと心から願います。その為のお手伝いを微力ながら私もさせて頂ければ大変嬉しいです。
今日は本当に、遠路お越し頂き有難うございました。
(聞き手・(株)中井英策商店代表取締役・及川昌弘)